Home > Archives > 2008-03-07

2008-03-07

寄り道

安芸のキャンプに行った時、岩崎弥太郎の生家があるというので、足を運んでみました!!
野球をしていた時は、時間もなかったのでこの機会にと思い。                                                        岩崎弥太郎
天保5年(1834年)、地下浪人岩崎弥次郎の長男として当時の安芸郡井ノ口村に生まれました。弥太郎はわずか10数歳で他人に漢詩を献じ、書を講じ、14歳の時に、13代土佐藩主であった山内豊照に秀才を認められます。そして21歳の時(1854年)、彼は単身江戸へ遊学に出ました。

 

生家には、幼少の弥太郎が大志を膨らませたという、日本列島を形どった庭石が残っています。
かなりの勉強家ぶりが伺えますが、幼い頃は、畑を荒らすかなりの“悪ガキ”だったという話もあります。
江戸へ出てわずか1年、酒席での喧嘩がもとで投獄された父親の事を知り、高知に帰ってきます。そして、父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄され、その後、村を追放されます。
村を追放された弥太郎は、現在の高知市鴨田に住み、現在の高知市長浜で少林塾を開いていた吉田東洋のもとに入門し、才能を認められます。

明治維新後、土佐商会は「つくも商会」と名前を改めますが、1872年の廃藩置県に伴い、弥太郎は「つくも商会」の施設を譲り受け、「三菱商会」を創設します。この時に、三菱マークが定められたそうです。見慣れたこの三菱マークは、岩崎家の紋である三蓋菱と土佐藩主山内家の三葉柏の紋を組みあわせたものだといわれます。

こんな物もあったのでとりました

昔の、消防車だと思います!!

間違っているならすいません。

Home > Archives > 2008-03-07

Search
Feeds

Return to page top